居心地のいい場所をつくるために

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普段の生活で、あまり不自由さをかんじたことなかったんだけど、社会人になってからいろんなところで家は貧乏だったんだなって感じることがある。

 

どれだけ暑い日でも、エアコンはつけてもらえなくて、つけるとしたら宿題をやるとかお手伝いをするとかそういう条件付き。守れなかったら冷えた部屋に入れてもらえなくなるのなんて当たり前だった。

新しい服が欲しくても、見に行っても、買ってもらえないことの方が多くて、買ってもらえたとしても買ってくれる人が気に入った服。自分の好みじゃないから、着る度に買った時のこと思い出して、あっちが良かったのになぁとか考えてた。笑

 

部活帰りでお腹ぺこぺこで帰っても、米やおかずが足りなくて、お腹いっぱいになるまで食べれないこともよくあった。味噌汁飲んどきなとか言われて。

お菓子もほとんど食べなかったし、ジュースもすごく高いものだと思ってた。

小さい頃、熱を出した時だけ買ってもらえたハーゲンダッツが美味しすぎて幸せな気持ちになったのは今でも覚えてる。笑

他の野菜は高いし、時間をかけて料理することもあまりしてなかったから、もやしと惣菜コロッケが定番だったなー。

 

おかげで家の冷蔵庫にあるもので家族分の夕飯を作ることも、1週間食料をもたせることを考えながら使うことも、人の食べる分を考えながら食べることも得意になったけどね。

周りの子ができないことが、自分はできるって誇りに思ってた時期もあったけど、今考えると、貧乏なのを言いふらしてるようなものだったなってちょっと恥ずかしくなる。

 

それと、ただの貧乏じゃなくて、貧困だったなって思う。もちろん経済的な貧困もあるけど、精神的な貧困もね。

 

自分の意思が尊重されないところが結構あったなって。そういうもんだとしか思ってなかったから、疑問にも感じてなかったけど、今、社会人として働いてみて、周りの人たちとの感覚の違いに戸惑うことが多い。

満たされて育ってきたのねって思ってしまう。

良いことなはずなんだけどね、そういう人と会うことが思ってたより多くて、自分は貧乏だったのかーって実感してしまう。

 

短大時代、仲良かった子は、私の家とは比べものにならんくらい裕福なお家で育った子。だけど、いつも一緒に居たし、いろんな話ができた。育ちが違うからこそ、正反対だったからこそ、お互いの良いところを見つけられたり、恵まれてたところに気付けたり。それなのに考え方は似てるところもあって、新しい発見がお互いに多くて、自分の世界が広がっていくのが楽しかった。

 

そうして、育ちの環境が違っても、仲良くなれたのは、お互いに理解しようとしたからだと思う。

他人事として突き放したらそれで終わりだからね。

 

友達の話の中で裕福だなって感じたことをいくつか挙げると、まず、誕生日には正装で家族揃ってレストランで食事をすること。

私はホールケーキがひとついつもの夕飯に加わることで特別感を感じてたのに、ドレスってなに?!レストラン?!お食事ってなに食べんの?!って質問攻めにしたなー。笑

 

あとはお小遣い。

もう社会人だからお給料が入るけど、親からお小遣いというものをもらったことはなかった。そもそも実父とは連絡とれなかったし。

ないのが当たり前だったのに、高校生のクラスメイトにお小遣いを口座に入れてもらってる子がいてね。お小遣いだけでノートパソコンを買ったとか言ってるのを見て、何なんだろうかって思った。

普通に高校生してるだけでノートパソコンが買えるほどのお小遣いが発生する仕組みが知りたくて。笑

でも、ただ、親の収入が安定して、多くて、子どもにそんだけかけてるってだけの話だった。

 

家族旅行もそう。家族で飛行機乗ったことは未だにない。そもそもみんなで一緒にいた記憶がない。

外国行きたい時は、必死にバイトして、貯金を使い果たす覚悟で行ってたけど、一緒に行く子たちは当然のように親が旅行費を出してくれてた。それを聞いた時は、どうして自分は余裕のある家に生まれなかったんだろうって答えのない問いをして、自分を責めたなー。

 

けど、お金があるからって幸せとも限らないし、逆にお金がないからって幸せになれないわけじゃない。お金が全てじゃない。

確かに、同い年の子たちより、しなくていい苦労もしてきてるかもしれない。

ただ、それは全部今の自分の糧になってるからね。

お金の大切さも、物の大切さも、その価値も、実際に体験しながら学んだから、経験値にはなってる。

本当に本当に大切なことは、目に見える行為よりも、心の奥で想う気持ちだと思う。

レストランでの食事でも、ホールケーキでも、根底にある想いに変わりはない。人が人を想ってした形が違っただけの話でね。

 

全く違う家庭環境で育った2人が話した時に話が合うのは、その想いをちゃんと受けながら育ってきたっていう共通点があったからじゃないかな。

本当に大事にしなきゃいけないことが共通認識されてたから。

同じ社会にいてもいろんな人がいて、いろんな家庭があるけど、違うことを突き放すんじゃなくて、少しでも受け入れようとしながら、知ろうとしながら、関心を持って過ごす人が増えれば増えるほど、居心地のいい場所が増えていくような気がするなー。

 

今、居心地のいい場所がないなら、探せばいい。自分に合った場所がどこかにあるはず。

そういう場所ができると、心も安定する。